だから世界が獲れた
インタビュー
元WBC世界フェザー級チャンピオン
越本 隆志氏(45歳)
2000年、世界戦への再挑戦の準備をしている最中に右肩の腱板断裂(けんばんだんれつ)で4本の腱のうち2本が断裂。ドアノブさえ回せない状態で、手術をしたとしても、元のパフォーマンスには戻らないと告げられる。医者からは引退勧告を受けるが、知人の紹介で知り合った岡嶋氏に治療をお願いし、手術をしないで現役を続けることを決断をする。2006年にWBC世界フェザー級王者池仁珍(韓国)に挑み、フルラウンドの激闘の末、2-1の判定勝ち。日本人最年長となる35歳での世界王座初奪取。(これまでは輪島功一の32歳9か月が最年長)現在は福岡にてフクオカボクシングジムを経営。
――岡嶋先生との出会いを教えてください。
越本氏: 僕と岡嶋さんの共通の知り合いに競輪選手がいて、その方を通じて知り合いました。その競輪選手のトレーナーを岡嶋さんがされていて、一緒に食事をしたりしているうちに自然と仲良くなりました。
――越本さんが岡嶋先生の治療を受けるきっかけは?
越本氏: 29歳(2000年)の時、練習中に右肩を怪我したんですよ。初めての世界戦の後でした。世界戦で敗れ、再起を誓った最中でした。試合前の練習でバキッと音がして。それから右肩が痛くて。その後の試合はなんとか勝ちはしましたが、右腕が全然あがらない状態でした。
――その試合は、岡嶋先生は見に行ってたのですか?
岡嶋氏: うん、行ってたよ。試合後に控室に呼ばれて。こっしゃん、控室で青ざめてたよね…
越本氏: 試合後、激痛でした。もう、気分が悪くて。吐きそうでした。
岡嶋氏: その時に始めて体を診たんやけど、これはやばいなと。
越本氏: その後で病院に行ったら「腱板断裂」と診断されました。
――断裂の原因は何だったんですか?
岡嶋氏: 筋肉が疲労すると筋肉が硬化して柔軟性が落ちる。落ちた筋肉に予期せぬ外力が加わると、断裂を起こしやすくなるんよ。
引退勧告を受けても諦めなかった越本氏
越本氏: ドクターからは、引退勧告を受けました。手術をしたらリハビリに1年かかるし、以前のパフォーマンスには戻らない言われました。でも僕はボクシングを諦めたくなかった。そこでプロスポーツ選手のトレーナーをされて、鍼治療も行える岡嶋さんにお願いをしました。ボクシングを続けさせてくださいと。
――「腱板断裂」で医者が引退勧告するのは、常識的な判断なのでしょうか?
岡嶋氏: 常識的な判断やね。こっしゃんの場合は肩に4つある腱のうち、2つが完全に切れてた。これじゃあまともな生活すら出来ない。
越本氏: ドアノブすら回すことができなかった。夜も激痛で寝れない。本当に辛かった。
――実際に越本さんから依頼を受けて、岡嶋先生はどう答えたのですか?
岡嶋氏: こっしゃんの心が折れてなかったからね。やりましょうと。
――治す自信はありましたか?
岡嶋氏: 断裂は治らないよ。しかしボクシングを続けさせれることはできると思ったし、正直、これは俺にしかできないと思った。
――なぜ岡嶋先生にしかできないと思われたのですか?
岡嶋氏: 過去に自分自身も筋肉が切れた経験があって。空手をしていた時に。その時に自力で回復させました。治療法を見つけたんです。その経験があるからこっしゃんの腱板断裂も、僕の技術で回復させれると思いました。
――肩がその状態から、再びボクシングをできるようにするのに具体的にどのような治療を行ったのですか?
岡嶋氏による再起への秘策が越本氏を救った
岡嶋氏: 一言で言うと「身体の使い方を変えた」ということ。肩には4つの腱があって、こっしゃんはそのうち棘上筋(きょくじょうきん)と肩(けん)甲下筋(こうかきん)の2つが断裂していた。4つの腱が放射状に揃って、初めてキレイに肩甲骨を回すことが出来る。1つでも切れたら安定しないから正常に肩が動かない。治療法は代償運動と言って断裂した2本の腱の役目を、違う筋肉で補うリハビリをした。
――そんなことが可能なのですか?
岡嶋氏: 違う筋肉に教育して教え込ますと言うんかな。鍼で患部をケアしながら、リハビリで教育する。特殊な技術やね。
――越本さんの肩は回復していきましたか?
越本氏: 最初は動かないところから、徐々に腕が上がるようになり、パンチも出せるようになっていきました。本当に驚きました。
岡嶋氏: 僕以外に肉体やパワーを作るフィジカルトレーナーと、実際にボクシングの技術を教えるテクニカルトレーナーがいて、チームでこっしゃんをみていた。各トレーナー同志で連絡を取り合って、今日はどんなトレーニングをしたとか、どこの筋肉を使ったから痛んでるはずとか。僕が指示をだして、それぞれが自分の役割を果たしたって感じかな。
越本氏: ありがたい環境でした。僕が何も言わなくても、トレーニングや治療に行く先々でその前の情報を知っているんです(笑)
――地道なリハビリとトレーニングを行い、怪我をしてから6年後に世界戦に再び挑戦をされたのですね。
越本氏: はい。試合ができる体にしてくれて。怪我から5か月後には試合をしてました。それから試合に勝ち続けながら準備をしました。
岡嶋氏: 毎試合、肩持ってくれ!!と祈ってたわ。
――世界戦前には以前のパフォーマンスに近くはなっていたのですか?
越本氏: いえいえ!怪我以前よりパフォーマンスは上がりましたよ!!
――怪我の前以上ですか!?
越本氏: はい。前のままだと世界は獲れなかったですね。その6年間でボクシングが上手になりました。
――世界戦の相手は池仁珍でした。コリアンファイターと言われ、なかなか対戦相手がいない、強力な王者でした。その世界戦の前にも鍼でケアをしたのですか?
岡嶋氏: 試合前と試合後はね。でも世界戦前はね、実は鍼がなかなか体に入らなかったんよ。
越本氏: え、そうだったんですか!?
岡嶋氏: うん。これが世界戦の緊張感かと思ったね。でも筋肉を触るといい緊張だった。肩の具合にしても最高の状態に仕上げれたと思ったね。最高の形で送り出せたと。
――試合は12R判定勝ちでした。勝って世界王者になった瞬間はどんなお気持ちでしたか?
越本氏: 池仁珍は強かったです。中盤は劣勢でしたけど、後半に巻き返せました。試合後は、、ほっとしたというか。ここで満足したらいけないけど、満足感でいっぱいでしたね。
――肩は最後まで持ってくれたのですね。
WBC世界フェザー級チャンピオンベルト
越本氏: はい。試合中は全然痛みもなく。凄いことに試合後も全く痛まなかったです。岡嶋さんや、トレーナーみなさんのおかげで世界が獲れました。本当に感謝しかないですね。
――越本さんにとって岡嶋さんの存在とは?
越本氏: 文字通り先生であり、友人であり、気のいいお兄ちゃんであり。すいませんね(笑)そしてなによりの恩人です。その時だけのお付き合いではないし、今も変わらない。怪我をしたから出会えた。出会えたから世界を獲れた。出会いは必然だったと思います。
――岡嶋先生、6年間を思い返して治療を含め今思うことは?
岡嶋氏: ベストの治療だった。そう言い切れるぐらい200%の力を出し切った。不可能を可能にする、常にそのことを心がけて全力で治療をしています。
――貴重なお話をありがとうございました。
世界戦の後、岡嶋氏と越本氏は二人きりの空間でいつものように治療を行った。
その時二人は終始無言だったという。確かにその瞬間、どんな言葉もふさわしくないように思える。二人の絆には、言葉はいらなかった。会場での大いなる祝福の後の真逆の静寂の中で、二人だけの祝福の時間がそこにはあった。
2016年10月15日 福岡市内のホテルの一室にて